こんにちは!リウマチ完治へGOのひさのです。
人間、何事も体験してみないとわからないもの。
それぞれの立場にならないとその苦しみも中々理解できないことだと思います。
リウマチもしかり。
あの苦しみはなった者にしかわかりません。
では、リウマチは実際どういう痛みなのか?
今回はそれについて書いてみたいと思います。
リウマチの痛みの特徴とは?
リウマチの痛みって言葉にするのはホント難しいんですよね;
ズキズキするとかヒリヒリするとか、痛みにはいろんな表現があるんだけど、そのどれでもない。
しいて言えば、「軋む(きしむ)」ってところじゃないかと思います。
体中の関節がきしみだすというか・・・
四十肩や五十肩を経験している人なら、あの痛みが全身のいろんな関節に現れると考えてもらえればといいと思います。
四十肩などの場合は痛くて肩が上がらなかったり、回せなかったりしますよね?
あれが、首、肩、手、手首、脇腹、腰、膝、足指、足裏など全身のいたるところに発生するんです。
ね? ヤバいでしょう?
あと他に似た例えといえば、インフルエンザや風邪で高熱を出した時の症状。
あの時、体中の関節が痛くなりますよね?
あの数十倍の痛みが関節にくると思ってもらうといいかと思います。
動かすと痛く、踏ん張ることができないので、ひどくなってくるとベッドから起き上がれませんし、寝返りも打てません。
用を足してもトイレの便座から立ち上がることもできず、階段の上り下りはもちろん通常の歩行も困難になります。
だから、朝起きてトイレ→着替え→食事→洗顔といったことも、普通はものの1時間もあれば十分に終わる単純なことも、リウマチになると数時間もかかったりするんです。
リウマチ患者を襲う気力を奪う鈍痛
さらに、じっとしていても腰や首、ひざなどは慢性的に鈍痛があります。
これが、結構やっかいで気力をむしばむ原因になります。
ただでさえ、朝起きてからの行動に時間がかかるのに、この鈍痛のせいでさらに動きが鈍くなる。
しかも、疲れやすくもなるので、一日でやれることに自然と限界が出てきます。
そして、こういう状態が長く続くと気分もふさぎがちになるんですね。
僕個人としては経験上、これがリウマチを治すのを一番難しくしているのではないかと思います。
実は完治できる病気なのに、回復に向かわせない。
治そうという気にさせない。
リウマチを「不治の病」とさせているのは、ここにも原因があるのではないかと思います。
リウマチの痛みから学ぶことが改善への第一歩
さらに病状が進行すると、骨の破壊などが進み、血流が悪くなり、慢性的な酸素不足が起こる「阻血(そけつ)性疼痛」や軟骨が薄くなったり消失してしまうことで直接骨に衝撃がかかる「機械的疼痛」、神経が圧迫され痛みやしびれが起きる絞扼(こうやく)性の神経障害など炎症性ではない別の原因で痛みが乗じたりもするそうです。
(僕はここまで進行することはなかったので、その痛みはわかりませんが・・・)
とにかく、リウマチの痛みというのは言葉では上手く表せません。
やはり、こればかりは患った者にしかわからないでしょう。
だから、リウマチ患者の方は動作面では周りに助けを求めることも大事です。
殻に閉じこもらない。
できないことはできないと無理せず、恥ずかしがらずに助けを求めましょう。(周りの方もどうか助けてあげてください)
また、逆に精神面であまり甘えすぎたり、ネガティブにならないようにも気を付けましょう。
実は、こういったバランスがうまくできるかどうかが、リウマチ改善に大きく影響しています。
人は人生でこういう大きな病気をする機会は滅多にありません。
普段、無意識に何気なくできたことが、急にあれもこれもできなくなる。
だから、気付くことがたくさんあります。
せっかくなのでこの機会に相手の立場から自分を見たり、俯瞰して自分を見たりしてみてほしいんです。
僕はそれがすごく改善に良い影響を及ぼし、完治への大きなきっかけとなりました。
今まで気付かなかった「素直さ」や「感謝」の大事さ、また自分の頑固なところや弱さなどリウマチはいろんなことを教えてくれます。
この痛みは、そういったことを気づかせ、これまでの考え方を変えるチャンスだと治った今でも思っています。
ふさぎこんだり、ひねくれたりしてしまってはどんどん完治から遠ざかるだけ。
人は一人では生きていけません。
是非、この痛みを教訓にいろんな気付きを得て、完治めざしてより良い人生を送ってもらいたいなと思います。
自分に起こる全てのことには意味があります。
ピンチはチャンス。応援しています。
一緒に頑張りましょう!
リウマチで悩む方に何か少しでも役立てればと思い、自身がリウマチ闘病の3年間で経験した完治までの経過や効果のあった治療法・失敗例、また参考になった情報、勇気づけられた言葉などを一つづつ公開していきます。あなたが少しでも改善されることを祈って。